お袋と息子の時間

2013年12月15日 (日)

母の誕生日に感謝

今日12月15日は母の誕生日だ。93歳を迎えた母、誕生日おめでとう。
先日、特養入所中の母を訪ねた。
年初のインフルエンザ、軽度の肺炎、入院中の大腿部骨折、入院同室者による結核菌羅患の疑い等々を乗り越え、母は93歳を迎えた。母の強い生命力にただ頭を垂れるのみである。長生きの母を持つ息子として母に感謝してもしきれない。
今では十分な会話を望むべくもないが、ここまで来ると生きている事実だけでも十分である。
本来、長寿の家系にある母方の兄弟、存命しているものは母を除くと弟一人と妹一人である。八人兄弟の五人は既に世を去った。
訪問した時は昼の食事が済んで間もない時間でもあり、うつらうつらとした母であった。しかし、母と居る時間を共有できる事のほうが私には嬉しかった。母が生きているから共有できる時間であり、そのことに感謝したいのだ。お袋、ありがとね、これからも更に更に長寿を祈念してますよ。
_00031 陽光が降り注ぐ中、チューリップの色が鮮やかさを増した。暖かな空気が満ちていた。からっ風吹く外とは違って、このハウスの中で花達は咲き競うことを楽しんでいる様子だ。

Pentax-67II+135mmMacro Fuji Velvia 2000年代初頭冬 福岡市中央区動植物園

2013年8月12日 (月)

還暦そして、抜歯する

昨8月11日、60回目の誕生日を迎え還暦となる。
60年間の感謝をしたくて、特老にお袋を訪ねる。
変わらずに元気そうなお袋に会い、ひとときの親子の会話を愉しむ。
92歳(12月で93歳)のお袋と60歳・還暦の息子。
「三十三の厄の時の子やけんね」が口癖のお袋。意味も判らず「ふーん」と聞き流していたが、それだけ大切な息子だということだろう。
ありがたいことだ。お袋の長寿に自然と感謝の気持ちになる。
嘗ての会話には程遠いが、それでも剽げた(おかしな、おもしろい、ふざけたの意)仕草と声に、涙を流さんばかりに笑い興ずる。それがありがたい。
日頃、家族の中では味合えない実の親子の会話とひととき。まさに自然である。
当たり前だが、お袋とのひとときは何の衒いもなく、繕うこともなく、ただ淡々としながらも、お袋の血筋を引く「ひょうげもん」の気性は何故か可笑しく、お袋にうける。いつまでもこのひとときが続くことを真剣に祈念するものである。

Vn:Mariko Senju(千住真理子)、Academy Of St. Martin In The Fieldsでバッハの「ヴァイオリン協奏曲BWV1043」を聴く。
Index_8
さて、抜歯である。
数週間前から右上奥歯が腫れ、噛むのが辛くなっていた。2週間くらい前から歯科医に通院しているが、昨日あたりから噛むに噛めず、嘗て経験したことがない痛みに一晩中寝苦しかった。今朝起きて開院直後に通院。歯科医に昨晩までの経緯と、現状を語り、自分から抜歯を申し出た。
医者は待ってましたとばかりに、速攻で抜歯した。(この歯科医は抜歯が好きなのか?)
久々に悲鳴を上げた。麻酔は効いていたらしいが、化膿している状態での抜歯なので、痛みは避けられないとのこと。ものの数秒で抜歯は終わった。抜かれた奥歯を見ると、当然ながら虫歯は一箇所もない。歯の周囲を黒く汚れが取り巻いている。
数年前に左上奥歯を抜歯して以来である。今はまだ、麻酔が効いているので抜歯後の疼痛は感じないが、麻酔が覚め始めると次第に疼痛がやってくるだろう。
これで残る歯は26本のはずである。虫歯もなく丈夫な歯が自慢だったが、丈夫過ぎていつの間にか歯周病(菌)に侵されるようになった。元来我が家は、歯が丈夫な家系。親父やお袋から、虫歯治療の話を聞いた覚えがない。歯が丈夫な分、歯茎に負担をかけたか、歯磨きや歯の手入れが雑だったか、歯科医推薦の歯の手入れや歯磨き法を軽く考えたか、いずれにしても過ぎた過去は取り戻せない。従ってこれからは、残る26本の歯を如何に存続させるかである。抜歯後の痛みが落ち着いたら、今度こそまじめに歯の手入れをするつもり。26本の歯をキチンとメンテして存続させたい。歯周病対策を徹底して行い、二度と抜歯せず生活できるよう、生活も改善したい。ただ、アルコールは止められないと思う、こればかりは。タバコはいい加減に止めたいものだが、後は強靭な自己管理並びに抑制能力を鍛え上げるのみ。

2013年7月 7日 (日)

母の生命力

一昨日、母を見舞った。
肺炎で入院し入院先の病院で大腿骨骨折、おまけに同室患者から出た結核菌に感染の疑いも出て、入院期間が随分と長期化したが、施設の自分の部屋に戻り幾分落ち着いた様子。しかしながら、やはり一回り小さくなった。入れ歯を外したことで口元がくぼみ、いわゆる婆さん顔になってしまった。
しかし、母の生命力は驚異的だと思う。一日の殆どを寝ているであろうが、食欲が落ちないのがスタミナ維持の要因か。元来、母方は長寿の家系、その中でも90歳超えは私の母のみである。8人の兄弟は母と弟と妹の三人が存命中だ。皆、70歳80歳の長寿兄弟である。
母の92歳はやはり際立って、長生きのモデルのようだ。息子として自慢の母である。
日頃祈念する一つとして母の長寿、健康、無事故。写真もアップしたいが、それは息子の心のライブラリの中にしまっておきたい。
_0044 紫陽花は土質によって色が違うと聞く。この色はどんな土質によるのであろうか。撮影したこの日は朝から小雨模様、カメラを構えた時にちょうど雨は止んでいた。
佐賀県神崎郡 2000年頃の梅雨時期 Minolta-α9000+28/70G+ストロボ Fuji Velvia

2013年6月17日 (月)

母の退院

6月15日、母が退院した。
4月18日の入院から約2ヶ月、長かった。
大腿部骨折が完治したわけではないが、担当医の判断で退院の許可が出た次第だ。
肺炎の疑いで入院した時に或る意味覚悟したが、母には強い生命力があった。しかし、
1)入院中に大腿部骨折
2)更に、同室者による結核感染の疑い
が立て続きに起きたときはさすがに、この入院施設を呪った。未だに大腿部骨折に至った原因が明らかではない。病院というのはブラック・ボックスだ。特に自ら意見を言うことのない高齢者の場合、施設側の対応をつぶさに言葉にして訴えるわけでもなく、患者家族側は何が起きているかを知るすべがないのだ。病院側が悪意を持って事の次第を秘匿していれば、そこはまさにブラック・ボックスだ。
これからは出来る限り入院しなくて済むようにと、家族として痛感した。これだけの長期入院は初めての経験であったが、今後更に母の健康・長寿を祈念して行きたい。

施設に戻った母は以前同様、同じ部屋に居た。6月16日、施設を久々に訪問、自宅に次いで住み慣れた場所に戻った母、うつらうつらと寝ていた。随分小さくなった、と感じた。一回り縮んだのじゃないかと。入院前の体重は39kgだったそうだが、今は35kg〜36kgくらいか。
病院の大部屋では落ち着いて親子の会話も語れなかったが、施設の個室ではようやく親子の会話が戻った。私の顔を見ると息子だと認識したようで、まずはそれだけでも退院してよかった、と思った。
いずれにしても、もっともっと長生きしてください。
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Minolta-α9000+28/70G Fuji Velvia 2000年代初頭 福岡市早良区板屋

2013年5月11日 (土)

母の入院III

背振山中に咲くミツバツツジである。北部九州でも珍しい群生地であるが、山中深いところにある事が群生を今に至らしめたものと思う。容易に人が入らなければ自然は保たれるのだから。

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Minolta-α9000+80/200APO Fuji Velvia 2000年初夏 佐賀県脊振山中

肺炎で入院の母はその後、微熱も治まり峠を越し平熱に戻ったが、今度は左足大腿部を骨折していることが判り急遽、整形外科病棟へ院内移動した。看護師長の話では、下着を替える際に左足膝上15cmが赤く腫れてるのが判り、整形外科での検査結果、骨折と診断したとのこと。外科手術前で、患部をギプスのようなもので固定している様子。師長は「骨折に気が付かず申し訳ありません」と詫びていた。

高齢者の骨折と外科手術はかなりな負荷がかかり、体力的なダメージが大きく、更に車椅子での移動も容易にできなくなる事から、しばらく様子見となるのではないか。いずれも担当医との協議が必要で早急に話し合いを持ちたい。

母はこれまで骨折など全く無く、ここに来て一気に事が頻発していている。先月中旬の肺炎での入院以来かれこれ一ヶ月近くかかっている。特養の施設側も入院等で三ヶ月以上施設を空けるとなると、施設を退所するなどいろいろ面倒な事になるようで、母の状況を担当医と相談した上で、近日中に特養施設側と協議しなければならないようだ。

今後の事も考えて、これまでの経緯を時系列化しておきたい。

1)3月上旬、特養施設にてインフルエンザに罹り、近くの総合病院に初入院。約10日間入院後退院。

2)4月上旬、特養施設にて入浴介護中に車椅子からずり落ちたとの報告。外傷等怪我無く無事とのこと。

3)4月中旬、特養施設から朝から37℃台の熱があり、施設の看護師の診断では肺炎の疑いがあり、入院が必要との連絡あり。結果、3月とは別の総合病院で検査の結果、肺炎と診断そのまま入院。

4)5月上旬、肺炎による微熱も治まり平熱に戻るも、今度は大腿部骨折となり整形外科病棟へ院内移動し現在に至る。

先日見舞った際、母は寝ていた。昼から気温が上がり病院内はまだエアコンが入っておらず、病室の窓が開いていた。すこし湿ってむっとするべたついた感じの蒸し暑い午後だった。

私の手元にこれまでことあるごとに撮って来た母の写真があるが、昨年の5月に撮った母と今の母とではかなり様子が違う。一回り小さくなっているし、明らかに老いている。92歳は高齢に違いないが老いのテンポが急速化している。息子として今出来ることは何だろうか。母の長寿と健康、更に現状の早期全快を祈念する以外にないのだろうか。

2013年5月 4日 (土)

母の入院II

肺炎で入院した母はその後、体温37℃台後半で推移していた。入院1週間は絶食、栄養源を全て点滴で補う状況であったが徐々に回復の兆しを見せ、現在では微熱ではあるが37℃台前半で推移し、点滴から介護食に戻った。食欲が旺盛なせいか元気になり、顔色も幾分戻ったようだ。病院側では食欲がいいのが最も体調が良くなる要因とのこと。何にも増して食が体調復活に直結しているのだ。医食同源とはこのことか。
手元に1年前の写真があるが比べるまでもなく、随分と小さくなった。自宅介護から2011年10月1日に特養入所以来、お袋は一回りも二回りも小さくなった。自宅介護中はお袋の存在を身近に感じていたが特養入所以降、距離感もあるが会うたびに小さくなっていくのがわかる。自宅介護中は家の中にお袋の声、息遣い、気配を身で感じていたが、入所してからは日常の中にその気配が薄れて行った。随分と家内には苦労をかけた。その分、家内には思う存分に毎日を楽しんでほしいと思う。お袋の介護に家内の自由を割いた時間は取り戻せはしないが、幾許かでも充実した生活を味わってくれたらと思う。それしか母の息子である自分に出来ることは無いのであるから。長男の嫁として我が家に嫁いでくれた家内には、感謝してもしきれない有り難さを痛感する。

息子として今の心情をイメージした写真「風薫る」。

Photo

今回の入院以降お袋を撮影していないが体調回復し、退院時に笑顔のお袋を撮ることをイメージしている。

Minolta-α9000+80/200APO Fuji Velvia 2003年春 福岡市中央区舞鶴公園

2013年4月21日 (日)

母の入院

母が入院した。
今年に入って2度目である。
3月、インフルエンザで1週間入院した。
退院して約一月、今回は「肺炎」である。前回とは別の病院である。そこで初めて
担当医が家族に説明(カンファレンス)したときのメモがある。このメモは担当医が私たちに説明する際に使ったメモで、控えを渡されたものである。
Photo担当医は、いろんな検査結果をわりと詳しく説明してくれた。総合的に見て肺炎と診断したらしい。専門的なことは判らないが前回、インフルエンザで入院した病院とは雲泥の差である。それは患者家族に対するきちんとした説明をするということ。前回病院ではそれはまともになされなかった。というよりもこのカンファレンスを実施された記憶が無いのだ。異なる病院を利用することでこのことに気が付いた。これが説明責任ということになるのだろう。患者家族は入院した病院での治療に委ねるしか他に方法は無く、或る意味、縋る気持ちになっているのだから、本来であれば病院側から患者家族の目線になって治療行為や検査結果、経過について説明してくれるべきだ。特に重篤な患者の場合、家族は一様に動転しており、医者に全てを委ねる気持ちになっているが故に、どこか「お願えしますだ」的な姿勢になってしまう。その姿勢を上から目線的な対応をされても、「患者を治してくれるから」と一歩も二歩も下がった気持ちになってはいないか。医者と患者・家族は対等であるべきと痛感した。

齢92歳、年齢的にも抵抗力の無い母である。逢うたびに小さくなったように思う。だからこそ医療機関はその母に対して最大限真摯な治療を施して欲しいものである。

上記のメモには、現状と今後についてを簡単に記されているが、メモの通りになって欲しくない希望を家族として強く思った。

2012年12月16日 (日)

92歳の母と、孫のふーちゃん

昨日12月15日は母の誕生日で、92歳である。施設でささやかな誕生会を催していただいた。フリースのジャケットとカーディガン、母への誕生日プレゼントも久しぶりかな?
食欲もあり、とても元気だ。
二人の姉からは花が贈られていた。母方八人兄弟で、母と妹さん弟さんの三人が存命で、長寿の家系である。60歳の還暦で逝った父の分まで長生きしてほしい。
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孫のふーちゃんである。1月に誕生日を迎える、早いものだ。我が家に来るたびに感じられる成長が著しい。
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いずれも生命の尊さを実感する。

2012年3月19日 (月)

お袋と会い、その後に図書館へ

いつもは寝てばかりの母、今日も寝ていたが私の顔を見ると「あんた、来とったとー?」「ごはん食べなさい」「泊まっていかんね」私が着ているセーターを指差し「それ、あたしが編んだと」。。。こんな会話のやり取りの後、介護士さんにいちごのデザートをいただいてご機嫌が良くなった。いちごは母の好物である。フルーツが好きで以前、夏みかんを1個2個ぺろりと食べていたことを思い出した。その後、ひとつのことがキーワードになって、次々と思い出したように語り始めた。
あなたのお名前はなんですか?
なになに冨子
何人兄弟?
八人、四番目
お父さんのお名前は?
ばんしち(伴七)
お母さんの名前は?
ひさの(久乃)
お姉さんのお名前は?
まさこさん(政子)
弟さんのお名前は?
しんちゃん(信太郎)
お父さんのお仕事は?
金物屋
どこで?
本町
どこの?
飯塚の商店街。。。母の記憶が蘇ってきたのだろう、私の質問に次々と応えてくれた。今日は母の健啖ぶりを確かめて、施設を後にした。下の写真は夏みかんをぺろりと食べていた頃の母である。

_0001


今日の2枚は序曲集、共にカラヤン&ベルリンフィルである。

ヴェルディ・序曲集、カラヤン指揮ベルリンフィル615vzwsmv2l_sl500_aa300_

ロッシーニ・序曲集、カラヤン指揮ベルリンフィル41sakaw8slたまに聴きたくなるジャンルだ。

2012年2月11日 (土)

おやつのあとで、お袋は寝ていた

昨日仕事中ではあったが、たまさか近くまで来たこととここしばらく行ってなかった後ろめたさもあり、お袋を訪ねた。
おやつの後ということで「お部屋で寝てらっしゃいますよ」と介護士さん。部屋を覗くとやっぱり、お袋は寝ていた。家に居た時も眠りは浅く、声をかけると「あら、あんた来とったとー」と、顔をくしゃくしゃにして迎えてくれた。手を握り、髪に触れ、ひとときの親子の会話だ。「親との語らい」ということを、今までは如何ほどのものだと考えていたのだろうか。

Dsc00200_2身近に居る時にこれほどまで感じなかったこと。何度も同じ言葉を繰り返す母ではあるが、私が実の息子だとわかっているはずで、ときおり親子ならではの言葉や言い草を語ることでそれを垣間見せる。この時は「あんたはのんき坊主」だと何度か言った。ずっと昔から母は私のことを「あんたはのんき坊主だ」と言っていたのだ。

「お腹空いたー」「おやつ食べとらん」「あんたはずーっとおんなさい」その他いくつかの言葉を織り交ぜ繰り返すが、合間あいまに親子の間にしか存在しない語り口で言われる時に、「お袋は俺だとわかっている」と安心し現実も感じる。

 


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