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2013年3月

2013年3月31日 (日)

山陰本線長門市駅で「D51612」を撮る

駅名不詳である。この日は山陰本線滝部付近でD51走行写真を撮った後、このD51612牽引の客レに乗り、長門市駅まで移動したところまでは記憶が蘇ったものの、乗車したこの駅が(滝部駅だったか)どこなのか思い出せず、写真にも手がかりになるものが写っていない。単線区間で島式ホームの駅しかわからない。41年も前のことで致し方ないか。

初冬の午後、駅職員の服装と斜光線が季節を物語る。その斜光線が愛用のロッコール28mmレンズに豪快なゴーストを入れてくれた。運転台が露出に引っぱられなくて良かったか。運転席の窓ガラス越に機関士の横顔がシルエットになっている。列車後方に向かって歩く駅職員は、離合列車との交換に所定の位置へと急ぐ様子だ。離合待ちのD51列車と冬の陽の午後。しばし待ち合いのひと時である。

D51612 D51列車に乗り、長門市駅で下車した。偶然にもこのD51612号機は1974年11月30日の山陰本線無煙化まで延命し、翌1975年1月12日の広島鉄道管理局主催のさよなら運転を牽引し、2月15日に廃車となったようだ。当時の国鉄はさよなら列車を牽引した当機を記念し、長門市駅前に動輪を保存展示している。
D516122初めて来た長門機関区ではあったが撮った写真が他に残っていない。

Minolta-SRT101+28mm/F2.8 Neopan SS 1972年初冬・山陰本線(1コマは駅名不詳)及び長門市駅構内

2013年3月30日 (土)

追分機関区「夜の情景」

虎シマ模様の96が静かに佇む追分駅構内。夜の帳が降りて場内を照らす水銀灯が眩しい。機関区内にある職員用のお風呂を使わせてもらい食事まで頂いた後、この場所にやって来たのだろう。初の夜間撮影を試みたくて三脚を立てたかと思う。広い場内には夜の仕業を待つ入替用の96が息づいていた。

9600_2辺りにはSLファンの姿も無く一人のんびりと過ごした時間。今となってはこれも貴重なワンショットだ。

Minolta-SRT101+55mm/F1.4 Neopan SS 1975年夏・北海道 室蘭本線追分駅構内

2013年3月24日 (日)

サクラ満開2013「小戸公園」

西区・小戸公園へサクラ見に行った。
行って驚いたのが「サクラの木、こんなに少なかったか?」ってことだった。
気のせいなのか、以前はもっと沢山のサクラの木があったように記憶する。
20130324_134021 サクラの開花予想に誘われた最初の日曜日、そこここにサクラ見物の客で賑わっていたが、まず思ったのが「サクラの木の少なさ」であった。見れば公園内の道路が整備されていたり、トイレの数が増えていたり、(以前には無かった)自販機が設置されていたり、有料バーベキュー・エリアがあったりで変わっていた。
私と家内の二人はそんなことを会話しながら、食事の場を探した。
公園内に(以前に比べて少なくなった)サクラ咲く一箇所を見つけ、食事を始めた。曇り陽で(写真撮影で言うとことろのデフューザー効果のある)曇天の下、満開のサクラは美しかった。凛とした気高さがあった。

家内は食後デザートにと、イチゴと饅頭とコーヒーを準備していた。弁当を食べた後、サクラを見ながら食べたイチゴと饅頭の味は格別であった。ひと時の幸せを感じた。

時代の流れを体感しながら今日のこの日に、家内と一緒にサクラ見物に出かけたことを、有り難いと思える自分に少し照れながら、ひと時を楽しんだ一日だった。

iPhone 4Sで撮影 2013年3月24日・福岡市西区小戸公園

室蘭本線・登別駅を発車する「D51貨レ」

夏の日差しの下、登別駅を発車するD51貨物列車である。当日は朝からこの駅で撮影していた。客車の発車シーンを撮影した後、この貨物列車を撮ったと記憶する。38年も前のことなので当日の記憶は曖昧である。
D51 全国でも唯一の蒸気機関車運行路線として、1975年夏の北海道は当時のSLファンとして忘れられないエリアとなった。かく言う当方も、残された路線での撮影を求めて、初の北海道行きを決行した次第である。高校時代、筑豊本線・冷水峠での出会いから始まった蒸気機関車の撮影も、いよいよ佳境に差し掛かっていた。当時として、後が無い差し迫った気持ちが九州の博多から長駆、北海道へと駆り立てたかも知れない。
D512 今思い返せば、バイトで稼いだ金を旅費とフィルム代につぎ込み、新幹線〜北陸本線〜青函連絡船を乗り継いで函館・室蘭本線までやって来たのだ。まる一昼夜を費やして訪れたこの地で、かなりハード・スケジュールを決行した様子だ。全ては20歳代のスタミナが後押しした結果であろう。
D513思い返すも、よくぞ決行したものだと当時の自分に感謝の想いだ。実際に行動し記録に残し、今になり当時を振り返ることが出来ることがその理由でもある。行動しなければ何も残らないし、下手ながら撮った写真も無かった訳で、記憶をたどる術も見いだせなかったであろう。当時の自分が為し得たことを今更ながら感心する。

若い青年期に、部屋に閉じこもること無く外に出て、後々残る出来事を思いながらと当時の自分が起こしたアクションではないにしても、それは結果として大変貴重なことだったのだと今だからこそ、その価値を見出すことが出来る。

38年前の自分を褒めてあげたい気持ちになった。

Minolta-STR101+135mm/F3.5 Neopan SS 1975年夏・北海道 室蘭本線登別駅

2013年3月20日 (水)

ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」聴き比べ。ロストロポーヴィチ、デュ・プレ、ヨーヨーマ。

ドボルザーク「チェロ協奏曲」。1895年6月、ドボルザーク54歳の作品である。

Index2 ロストロポーヴィチのチェロ、カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏で1968年9月、ロストロポーヴィチ31歳、カラヤン60歳の録音である。
Index0 ヨーヨーマのチェロ、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルの演奏で1986年1月〜2月ヨーヨーマ30歳、マゼール55歳の録音である。
Celibidache_du_pre ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団の演奏で1967年デュ・プレ22歳、チェリビダッケ55歳のライブ演奏である。42歳で夭折(多発性硬化症)したデュ・プレ。21歳でダニエル・バレンボイムと結婚した翌年の録音である。(※ちなみにデュ・プレの愛用した1713年製ストラディバリウス“ダヴィドフ”は彼女の死後ヨーヨーマに貸与され、主にバロック音楽の演奏に使用されている)(Wiki)

デュ・プレ22歳の若さで、この堂々とした演奏に舌を巻く。やはり天才だったのだろうが、42歳での死は余りにも早すぎたと惜しまれる。

3枚の作品の中で最年少のデュ・プレであるが、決して勢いに任せた演奏ではなく情感の表現に優れ、他の作品も更に聴きたくなる。デュ・プレの伴奏に徹し抑揚を押さえながらも、随所で光るチェリビダッケの指揮も見逃せない名演である。

剛の印象、ロストロポーヴィチ。それに対して従の印象、ヨーヨーマか。カラヤン、マゼールの両指揮者によるベルリン・フィルの演奏も興味深いが、“両雄並び立たず”の印象をどうも拭えず、演奏会場に指揮者と奏者二つの巨峰が聳え立ち、その谷間にこだまするオーケストラと不協和音化しているのではないか。優れた演奏だが、聴き疲れしてしまうのが残念である。

ということで独断であるが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、デュ・プレ&チェリビダッケ盤に◎、としたい。

サクラの季節(サクラ三題)

_0002 福岡市中央区・舞鶴公園

例年より10日から2週間ほど早く、日本各地で開花し始めた今年のサクラ。今朝のニュースで「サクラと入学式とが例年では重なる風景ですが」と語っていたが、まさにそうであろう。気象協会の解説によると3月上旬、一気に上がった気温がかなり影響しているとのこと。サクラとはそれほど気温に敏感だったのか。確かに様々な花が開くことで春を感じる。肌寒い朝であれ、草花は確実に季節という時間を刻んでいるようだ。今年は寒さ厳しい日が続いたが、季節は間違いなく春を演じている。そう考えると時の経過は早いものだ。

_0010 糸島市・研修道場

我が家の次男が社会に巣立ってはや一年が経ち、孫も1歳を過ぎた。母が特養に入所して1年半程となる。その母がインフルエンザに罹り、入院した。92歳の高齢で体力も落ちており、39度近くの熱を出し心配したが、本日退院の運びとなった。母にはまだまだ長生きしてほしい。

_0001 福岡市西区・小戸公園(ストロボ使用)

Minolta-α9000+80/200APO、28/70G Fuji Velvia 2000年〜2003年春

2013年3月17日 (日)

リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」を聴き比べる

長い引用になるが当曲のアウトラインは以下の通り。

「副題に “Tondichting für großes Orchester” (大管弦楽のための交響詩)とあるように、演奏するには105名から成る4管編成オーケストラが必要となる。またオーケストレーションが頂点に達している曲とも言われ、技術的にもオーケストラにとって演奏困難な曲の一つに数えられており、オーケストラの実力が試される曲としても知られている。(中略) この曲の「英雄」とはリヒャルト・シュトラウス自身を指すと言われているが、作曲者本人は「それを知る必要はない」としており、この曲にプログラムがあることを言明していない。(Wiki)

ということで下記の指揮者・オーケストラで冒頭部分の聴き比べを試みた。

アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィル

Images_2

録音が素晴らしく、ウィーン・フィルのきらびやかなサウンドに魅かれてしまう。プレヴィンとウィーン・フィルとの相性の良さを感じる高感度な演奏だ。

カラヤン指揮ベルリン・フィル

Index

ミシェル・シュヴァルベのヴァイオリン、カラヤン51歳頃の1959年3月、ベルリン・イエス・キリスト教会でのステレオ録音である。大編成の交響詩を一気呵成に仕立て上げるカラヤンならではの、独特なサウンドである。

カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン

478ベーム盤はモノラルというハンディを差し引いて評価しなければならないが、晩年のベームに見られる枯淡の響きと異なり当時63歳前後の壮健さが残る時期、シュターツカペレ・ドレスデンとの熱演版だ。録音:1957年2月、ドレスデン(モノラル) 

ベームという人は、スタジオ録音よりも演奏会でのライブに本領を発揮するタイプではないか。1976年ザルツブルグでの同じ組み合わせでのライブを聴く機会があったが、全く別人ではないかと思ってしまった。

2013年3月14日 (木)

この本を読む。「窓際OL 人事考課でガケっぷち」

一気に読み上げれるリズム感がある。歌人・斎藤茂吉の孫として、はたまた作家・北杜夫の娘としての血統を継ぐ作者の筆致に、会社員ならばこその共感に出会う。週刊誌連載の作者は、同時に企業のOLでもある。多少、年季の入ったOLのようだが社内の人間模様への観察眼はさすがと言えよう。作家のDNAとでも言おうか、リズミカルな文章に気負いも感じられなく、好感が持てる。シリーズのようで、他の作品への期待も高まる。理屈抜きで気楽に読める一冊であった。
51dlgo96ewl_sl500_aa300_ 斉藤由香著「窓際OL 人事考課でガケっぷち」新潮文庫

2013年3月 5日 (火)

夕張線1975年の夏「D51241発車」

駅名は不詳である。
勢いよく吐き出すドレイン、煙りは怒髪天の如く、まさに人間の作り出したもっともヒューマンな造作物、蒸気機関車。
D513i_2 時代を感じるデザインの車、山間の集落に響く汽笛。迫り来るD51の真正面に20歳の自分がいた。遠い夏の一コマである。
Minolta-SRT101+55mm/1.4 NeopanSS 1975年夏・北海道 夕張線(駅名不詳)

2013年3月 2日 (土)

ヘルムート・ヴァルヒャでバッハ「オルガン作品集」を聴く

ヴァルヒャは生涯に2度のバッハ・オルガン作品全集を完成させている。1回目が1947年〜1952年にモノラル、2回目が1956年〜1972年にステレオで。
16歳で完全失明したヴァルヒャ。その彼が2度にわたる全集録音とは、誠に頭の下がる偉業である。全集完成に至るまで、各地の教会にあるオルガンを選択しながらの録音だったようだが、それにはさまざまな事情が重なるのだろう。
カペル(ドイツの小さな村、らしい)のシュニットガー・オルガン
リューベック(バルト海に面する北ドイツの代表都市)の聖ヤコビ教会の小オルガン
アルクマール(オランダ)の聖ローレンス教会のシュニットガー・オルガン
ストラスブール(フランス北東部)のサン・ピエール・ル・ジュヌ教会のジルバーマンのオルガン、等々。
Index 一聴するにまず、空間の拡がりを感じる。高い天井というイメージが先行するが、ヴァルヒャの奏でるオルガンの音が全方向に放たれ、僅かな時間差で天井や壁に反射し、教会の大空間を滔々と漂うのだ。
この作品に携わった録音技師も恐らく、この結果を想像しながら各地の教会を訪れたのではないだろうか。そして実際にヴァルヒャを伴いそこここでオルガンを試奏したのではないか。納得できる音が得られるまで、各地に点在する教会とオルガンを探したであろう。それを想像するだけで、一本のドキュメンタリーが完成するのではないか。
全盲のオルガン奏者と付き添い人、それに録音技師。彼らがヨーロッパ各地を廻る姿に或る意味、納得できる風景を求めてあちこちに車を走らせた自分と重なる。目的は異なるとして自分に納得したいと言うことは同じではないか。
そんなことを思いながらこの作品集を聴いた。

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