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2012年4月

2012年4月30日 (月)

幌内線「39696号機」IV

給水塔があることから、終点折り返しの幌内駅構内だろうか。できれば転写台上の写真も撮りたかった。
たっぷりと給水を終えた39696は、しばしの休息状態だ。雨が降った様子も無いことから、幌内線での撮影を始めた時間だろう。この日は追分から夕張、その後に幌内へ移動したのか、道内撮影2日目だったような記憶も曖昧だ。

前日かこの夜、私は追分機関区内の職員宿泊所に宿泊している。道内で知り合った国鉄職員さんのおかげだ。大宮操車場勤務の方で蒸気機関車の撮影に来ていたのだ。20代半ばの年齢か、名前を失念してしまったがこの方のおかげで初の「職員宿泊所への宿泊体験」をさせていただいた。

宿泊所には大きめのお風呂があり、ゆっくりと浸ったお風呂の窓からは、構内を行き来する機関車の音が聞こえていた。ファンとして何とも贅沢な時間であった。

9600 Minolta SR-T101/28mmF2.8 Neopan SS、1975年夏・幌内線 幌内駅構内

2012年4月29日 (日)

幌内線「39696号機」III

カメラだけは濡らすまいと差した傘、タオルで頬被りした私。目一杯引きつけ、ファインダ視野から切れる直前でレリーズを切った。96が過ぎ去って気が付いた。髪の毛から雨の雫が滴り落ちていた。
96
Minolta SR-T101/55mmF1.4 Neopan SS、1975年夏・幌内線 三笠-幌内間


幌内線「39696号機」II

街中から移動、S字カーブで96を待つ。汽笛が聞こえ、96が姿を現した。空は次第に雲行きが怪しくなり、とうとう雨が降り出した。

9600Minolta SR-T101/55mmF1.4 Neopan SS、1975年夏・幌内線 三笠-幌内間

2012年4月26日 (木)

幌内線「39696号機」

幌内線・三笠-幌内間での9600型蒸気機関車である。39696号機、資料によれば「1920年川崎重工兵庫工場製。1933年旭川転属後、道内で運用。最晩年は幌内線で石炭輸送に従事した」とある。1976年3月、当機は岩見沢にて廃車された。

夕張線紅葉山での撮影終了後この場所に移動。国鉄蒸機最後の夏ではあったが、この日は意外にもファンが少なかったように記憶する。

写真を整理していると当時のことが少しずつ思い出され、30数年も前のことが徐々に蘇る。文章にすることで記憶が鮮やかになるのだろうか。
撮影後、夕張市役所観光課へ。道内でよく見かけた横長でグリーンのステッカー「ゆっくり走ろう北海道」を貰いに。友人は「ほかの土産よりも嬉しい」と思いのほか好評だった。
9600_2
Minolta SRT-101/55mmF1.4 Neopan SS、1975年夏・幌内線 三笠-幌内間

2012年4月23日 (月)

筑豊本線・新飯塚駅「D6025号機」

1970年頃、筑豊本線・新飯塚駅構内で撮影したD6025牽引下り貨物列車である。
この当時、レンジファインダタイプ35mmカメラを使用していた。フィルムはNeopan SSを使用。知人宅が近かったので、この駅にはよく訪れた。
(1925年製D50を1952年に改良した)D60には野武士のような風貌を感じる。化粧煙突もD60の特徴の一つだ。直径1400mm動輪が見える写真が手元に見当たらないのが残念だ。
左側には時代を感じる懐かしい建物が見える。

D60

Ricoh 35S/45mm Neopan SS、1970年頃 筑豊本線・新飯塚駅構内

2012年4月21日 (土)

日豊本線・宮崎機関区「C6119号機」

停車中の写真が多いのには訳がある。多少長くなるが経緯を書き残しておきたい。


高校1年5月の週末。「機関車を見に行こう」と言うクラスメイトの誘いに乗った私は、彼のバイクに二人乗りして初めて冷水(ひやみず)という名の峠へ行った。

最大25‰の急勾配、筑豊本線の難所・冷水峠越えに挑むC55との出会いが、蒸気機関車に魅かれる始まりとなった。しばらくの間は、父から借りたカメラ(レンジファインダタイプ35mカメラ)を持って桂川、新飯塚、鳥栖機関区等々へ出かけた。

高校生の私にとって、往復のキップ代と僅かな小遣い、35mmモノクロフィルム数本というのが限界だった。なかなか上達しない私も次第に一眼レフカメラが欲しくなり、その年の夏休みのバイト(道路工事)で汗を流し、稼いだ金でMinolta SR-T101(標準レンズ55mm/F1.4付き)を買った。

初めて手に入れた一眼レフカメラが嬉しくて毎日、ピント合わせとシャッター押しを練習した記憶がある。ところが悲しいことに、迫る機関車を見るとピント合わせに慌ててしまい、前ピン後ピンを何度も繰り返していた。動体を捉えることの難しさに何度も悔しい思いをした。それ以来、走行列車撮影は苦手となり、駅構内や機関区で停車中の列車ばかりを撮るようになった。

当時の私にとって素早いピント合わせは高いハードルだったのだ。(当然、AF一眼レフカメラなど無い頃のこと。当時あればなぁなんて、悔やんでも致し方ないが)

という言い訳はこの辺で終わり、本題に戻りたい。

1972
年の夏、修学旅行以外では初めて南九州へ撮影旅行に行った。23:59博多発の急行「かいもん」に車中泊、翌早朝6:12西鹿児島着。駅構内で撮影した後、日豊本線で宮崎へと移動した。途中下車をしながら駅周辺で撮影、夜も遅い時間に宮崎着。その日は駅前旅館に素泊まりしたが、お風呂に入浴したときの心地よさが今思い出される。慌ただしい強行軍の旅行であったが、今では懐かしく思い出される。

C6119は翌朝、宮崎駅及び宮崎機関区内で撮影したときの写真である。当機は「197110月に東北・青森機関区から宮崎機関区に6輛転属配置された内の1輛であるが、1974年の宮崎電化までに運用離脱となり、現在は鹿児島県霧島市国分・城山公園に静態保存されている」(Wiki)

尚、以前にも当ブログに記載したがC61型蒸気機関車は「
D51型の改造名義ではあるが、流用したのはボイラーと一部の部品のみ。走行部はC57形をベースに設計されているが車重は増加、C57の代替として製造された経緯から、同型式の入線線区に適応する水準に軸重を軽減するため、従輪を設計変更して2軸台車とした、2C2型の「ハドソン」と呼ばれる車軸配置となっている(Wiki)

C6119_1_2

機関区事務所で構内立ち入りの許可を貰い、割と自由に撮影できた。地域によっても異なるだろうが当時の国鉄の粋な計らい、SLファンへの対応は、今では考えられないような配慮であったと思う。「自己責任」とは言え、隔世の感有りだ。
Minolta SR-T101+55mm/F1.4 Neopan SS
1972年夏・日豊本線宮崎機関区

夕張線・紅葉山駅「D514号機」

古い箱の中から出て来た蒸気機関車の写真、「セピア色への褪色」はさほどに進んでいなかった。撮影場所は北海道夕張線紅葉山駅、1975年だから37年前のことだ。残念なことにネガは見つからず、2Lサイズの紙焼きである。

《大学4年夏、バイト先の友人と3人で初渡道。有効期間1ヶ月の学割北海道周遊券。博多〜(新幹線)〜新大阪〜(北陸本線・特急白鳥)〜青森〜(青函連絡船)〜函館、乗り継ぎの旅であった》。

さて、このD51 4号機[追]について。D51は全部で1,107両量産され「1935年度(23両)川崎車輛(13両)D51 1 - 13 」(Wiki)とあるように、かれこれ77年前に製造され、写真を撮った時点で約40年間、国鉄路線を走っていたことになる。

「初期に製造された95両は、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水暖め器レール方向に置き、それらを覆う長いキセ(着せ=覆い)持つことが外観上の特徴である。その後の通常形ドームとの区別のため「半流線形」、略して「半流形」と呼ばれるようになり、その形状から「ナメクジ」の通称」(Wiki)通り、ドーム形状に特徴がある。

渡道後の初日は、函館から特急「北斗」で移動、途中乗り継ぎしながら追分駅で下車して、追分の駅構内で撮り始めた。現役の蒸気機関車が残っていたのは、室蘭本線、夕張線など僅かな路線のみであったのだろう。追分からDCでこの駅に降りたとき、空は曇天で少し蒸し暑かったと記憶する。長編成の貨物列車には、往年の蒸気全盛時代を彷彿とさせるものがある。

D514Minolta SRT101+55mm/f1.4 NEOPAN SS、1975年夏・夕張線紅葉山 D514貨

2012年4月20日 (金)

日豊本線・宮崎機関区「C6120号機」

引っ越しの際、所在不明だったフィルム、写真、書籍。なんと15年ぶりに出て来た。一度は諦めていた蒸気機関車の写真、フィルム。出て来た。。。今日はその再会を記念して、この一枚をアップしたい。

1971年東北本線奥羽本線電化が進み、活躍の場を失った当機(C6120)は、終焉の地として九州地方の宮崎機関区へと赴き、9月19日より運用開始。急行「日南51号」から貨物列車まで様々な列車の牽引に充当し、最終的に1973年(昭和48年)8月28日に同機関区での運用を終えた(Wiki)」C6120号機であるが、数十年の時を経て復活した、極めて幸運な機関車でもある。
この写真は1972年の夏、南九州へ行った際に宮崎機関区内で撮影したもので、もちろん現役時代だ。

1972_0100今後しばらくの間、再会した写真・フィルムの中からピックアップしていきたいと思う。
Minolta SRT101+55mm/1.4 NEOPAN SS、1972年夏・宮崎機関区

2012年4月16日 (月)

マッサージの後、クルマで図書館へ

土曜日、左首筋の凝りが痛みに変わり、背中〜腰にかけてどうにも堪らず、家内とともにマッサージ院へ。揉みほぐされ始まると、まどろみはいつの間にか爆睡の世界へ。たまには己の体をきちんとメンテしなきゃ、と爆睡の言い訳にもならない独り言。メンテの後クルマで図書館へ。
A.ヴィヴァルディ:ラ・ストラバガンツァ、N.マリナー指揮アカデミー・セントマーティン・イン・ザ・フィールズ
バイオリン協奏曲のようだが「ラ・ストラバガンツァ」の意味がわからない。

Images

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、クリスティアン・フェラスのヴァイオリン、カラヤン指揮ベルリンフィル

41pvj9wba4l_sl500_aa300_ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、久しぶりに聴いてみた。20歳代の頃だからかれこれ40年近くも前だ。今の年齢で聴く「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲」いかがなものだろうか。フェラス34歳、カラヤン59歳の頃の録音。楽しみである。

2012年4月15日 (日)

続・背振とその周辺VIII(雨のネックレス)

霧雨煙る早良区・椎原(しいばる)にて。
辺りの山々にかかる靄がゆっくりと流れ、空を覆う雲間からは遅い朝陽が差し始めた。車から降り、辺りをぶらり歩きしていていると、キラキラしたものが目に止まる。猫じゃらし。近くでよく見ると針のような一本一本にびっしりとついた雨粒、その粒々に太陽の透過光、「これは撮るしか無いでしょ」と独り言を言いながら私は、撮影の準備に入った。

_0002

この日は雨粒のネックレスにも出会えた。

20120414_0001自然の織りなす演出に敬意を表しながらも、それに出会えた自分を少し、幸せに思えた一日だった。

Photoα-9000/100mmマクロ2.8、2000年・早良区椎原

2012年4月 8日 (日)

バッハ・管弦楽組曲第3番からAir #On The G String"の演奏時間を比較した

またまた暇にまかせて、同曲の演奏時間を比べてみた。
「Bach: Orchestral Suite #3, BWV1068 Air "On The G String"」の部分である。
カラヤン指揮ベルリンフィル盤が最も長い。K.ミュンヒンガー指揮シュトットガルト室内管弦楽団盤に比べ約1.7倍強の演奏時間だ。フルオーケストラによる荘重且つ重厚なサウンド。滔々とした大河の流れにも似たテンポ、目を閉じてゆっくりとタクトを振るカラヤンの表情を彷彿とさせる重量感ある演奏だ。

20120409_205242

 

2012年4月 7日 (土)

2週間ぶり、チャリで図書館へ

年度末のばたばたをなんとか乗り越え、やっと図書館へ行ける時間が出来た。ここ2週間連続で土曜出勤だったのだ。週に1日休日はちょっと時間が足りず、しかも気忙しい。
午前中からお昼過ぎまで自宅「プチ・模様替え」。1階リビングのキャビネット→廊下、2階書斎の家内専用パソコン及びデスク→1階リビング、2階書斎の空きスペースを整理。。。マイ・パソコンのデスク周り、かなりゆったりとなった。一段落ついたところでチャリを飛ばし図書館へ。愛宕大橋から見える室見川河口では、潮干狩りを楽しむ数多くの家族連れが。今日明日が博多港大潮である。きっと明日の日曜日も家族連れで賑わうことだろう。
さて今日は2つの全集ものが。
J.E.ガーディナー指揮オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティークでベートーベン交響曲全集

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H.V.カラヤン指揮ベルリン・フィルでブルックナー交響曲全集

51310wtqrhl_sl500_aa300_ガーディナーは先のバッハ「管弦楽組曲」以降、お気に入りとなった指揮者だ。時代考証を重ね忠実に再現した作曲当時の編成による演奏であるが、聴き慣れたオーケストラとは異なる響きとリズムが新鮮だ。
一方カラヤン指揮によるブルックナー交響曲全集はカラヤン67歳〜73歳手兵ベルリン・フィルを率いての全曲録音である。

初孫・ふーちゃん、ブログデビュー!

初孫の「ふーちゃん」、ブログデビューです。

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1月生まれの「ふーちゃん」、ママのおっぱい沢山飲んでご機嫌。ジイジの向けるカメラに、目一杯の瞳でこたえてくれました。キャッチライトがいいね!

2012年4月 2日 (月)

J.シュトラウス「ピチカートポルカ」が聴きたい

うらうらとしたある日の午後、クルマを走らせいつもの脊振村。空では薄い雲がレースのカーテンを用意し、春の陽光を遮ってくれた。おかげで本来の色に戻った花々が私を出迎えてくれた。自然の配慮に感謝。

_20120402白、黄色、グリーン。三色の配置をあれこれと工夫しながら、このひとときを楽しんだ。この写真を見て、J.シュトラウスの「ピチカートポルカ」を無性に聴きたくなり、カール・ベーム指揮ウィーン・フィル盤で聴きながら今日のブログを更新した。
α-9000/135mm、2005年春・佐賀県脊振村

2012年4月 1日 (日)

旅立ちの朝(次男、東京へ発つ)

お招きいただき参加した「友人宅・パンパーティ」、語らうこと数時間。遅い時間までお邪魔し恐縮の至りであった。以前より友人の奥方からお声がけ頂いていたが、やっと実現した「パン・パーティ」、これほどにおいしいパンを嘗て味わったことが無いほど、驚きの連続であった。あらためてお礼を申し上げたい。

今朝は我が次男旅立ちの朝。22年間の自宅生活を今日で終え、明日から新しい生活を始めることになるが、親の心配は案外無用なのかもしれない。
飄々としながらも時折見せる表情に、幼い頃の面影は隠せない。幾つになっても子供は子供、今の歳になるまで彼の成長を知るのが親の特権であり、それは親の義務でもある。
我が子を五体満足で世に送り出すこと、これこそ親の義務であり責任である。その義務と責任はひとまず今日で終了となった。と同時にこれから一切の責任は、次男の肩にずっしりとのしかかる。
まあ、親のひいき目であるが「この次男は負けない」と確信する。ともあれ、子へ抱く全幅の信頼は世の親御さん同様、親が子に為す当然の期待だ。しっかり頑張れ、健児!!

_0002旅立ちとは幾分ミスマッチかもしれないが、シルエットの枝が天に伸びゆくサマに見えなくもない。。。
α-9000/28-70G、2001年4月・佐賀県背振

 

Bach作品集2題

バッハの作品集を2題 
J.S.バッハ:作品集「プレイズ・バッハ」、小沢征爾指揮ボストン交響楽団
1989年10月〜1990年10月、ボストン・シンフォニーホールにて、小沢征爾54歳〜55歳の時の録音である。

975

J.S.バッハ:管弦楽組曲、C.ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団
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