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2012年4月21日 (土)

日豊本線・宮崎機関区「C6119号機」

停車中の写真が多いのには訳がある。多少長くなるが経緯を書き残しておきたい。


高校1年5月の週末。「機関車を見に行こう」と言うクラスメイトの誘いに乗った私は、彼のバイクに二人乗りして初めて冷水(ひやみず)という名の峠へ行った。

最大25‰の急勾配、筑豊本線の難所・冷水峠越えに挑むC55との出会いが、蒸気機関車に魅かれる始まりとなった。しばらくの間は、父から借りたカメラ(レンジファインダタイプ35mカメラ)を持って桂川、新飯塚、鳥栖機関区等々へ出かけた。

高校生の私にとって、往復のキップ代と僅かな小遣い、35mmモノクロフィルム数本というのが限界だった。なかなか上達しない私も次第に一眼レフカメラが欲しくなり、その年の夏休みのバイト(道路工事)で汗を流し、稼いだ金でMinolta SR-T101(標準レンズ55mm/F1.4付き)を買った。

初めて手に入れた一眼レフカメラが嬉しくて毎日、ピント合わせとシャッター押しを練習した記憶がある。ところが悲しいことに、迫る機関車を見るとピント合わせに慌ててしまい、前ピン後ピンを何度も繰り返していた。動体を捉えることの難しさに何度も悔しい思いをした。それ以来、走行列車撮影は苦手となり、駅構内や機関区で停車中の列車ばかりを撮るようになった。

当時の私にとって素早いピント合わせは高いハードルだったのだ。(当然、AF一眼レフカメラなど無い頃のこと。当時あればなぁなんて、悔やんでも致し方ないが)

という言い訳はこの辺で終わり、本題に戻りたい。

1972
年の夏、修学旅行以外では初めて南九州へ撮影旅行に行った。23:59博多発の急行「かいもん」に車中泊、翌早朝6:12西鹿児島着。駅構内で撮影した後、日豊本線で宮崎へと移動した。途中下車をしながら駅周辺で撮影、夜も遅い時間に宮崎着。その日は駅前旅館に素泊まりしたが、お風呂に入浴したときの心地よさが今思い出される。慌ただしい強行軍の旅行であったが、今では懐かしく思い出される。

C6119は翌朝、宮崎駅及び宮崎機関区内で撮影したときの写真である。当機は「197110月に東北・青森機関区から宮崎機関区に6輛転属配置された内の1輛であるが、1974年の宮崎電化までに運用離脱となり、現在は鹿児島県霧島市国分・城山公園に静態保存されている」(Wiki)

尚、以前にも当ブログに記載したがC61型蒸気機関車は「
D51型の改造名義ではあるが、流用したのはボイラーと一部の部品のみ。走行部はC57形をベースに設計されているが車重は増加、C57の代替として製造された経緯から、同型式の入線線区に適応する水準に軸重を軽減するため、従輪を設計変更して2軸台車とした、2C2型の「ハドソン」と呼ばれる車軸配置となっている(Wiki)

C6119_1_2

機関区事務所で構内立ち入りの許可を貰い、割と自由に撮影できた。地域によっても異なるだろうが当時の国鉄の粋な計らい、SLファンへの対応は、今では考えられないような配慮であったと思う。「自己責任」とは言え、隔世の感有りだ。
Minolta SR-T101+55mm/F1.4 Neopan SS
1972年夏・日豊本線宮崎機関区

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