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2011年8月

2011年8月31日 (水)

背振とその周辺XIX(6×7で撮る夕陽当たる杉木立)

朝から三脚担いで撮影、かなり疲れた。脊振村では、秋の陽がゆっくり西に傾き夕暮れを迎えようとしていた。腹も減った。そろそろ帰路につこうか。林間の道路を三瀬村方面へ移動しながらそんなことを考えた。右の斜面に杉木立が続き、そこに傾いた秋の陽が差した。斜陽は濃緑の枝と枯れた落ち葉を黄金色に染上げた。

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2011年8月28日 (日)

背振とその周辺XVIII(燃える秋・狛犬)

背振の紅葉、見頃は毎年11月頃だ。9月の下旬、麓の田畑に曼珠沙華(彼岸花)が咲き競い始めると紅葉の秋がゆっくりとスタートする。季節はとても正直だ。先人が名付けた彼岸花、まさしく秋の彼岸を前にして咲き始める。厳しい残暑も燃えるような紅蓮の色には負けそうなほどに、曼珠沙華の赤は鮮やかだ。
この日は脊振村にある神社境内へ、遠目にも境内の紅葉が目に染みる。
狛犬さん阿(あ)、狛犬さん吽(うん)。戦前の教科書に載っていたと聞く。ここの狛犬は長年風雨に晒され風化しつつあった。ところどころ苔むしたりして、気候の寒暖の差もあり麓の狛犬より風格がある。
背景に燃え上がる紅葉を配し、引いたのとアップを2葉。

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見方にもよるが、上のカットはレフ板を効かせたように見えるのが不思議だ。

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2011年8月22日 (月)

背振とその周辺XVII(お正月・椿)

お正月の三ヶ日はほとんど自宅で過ごすことが多いが、これが雪でも降るとなれば話は別だ。この年のお正月は前夜来から降雪、午前中にチェーン等の準備怠りなく早速背振へ向かった。しかし時間の経過とともに気温は上昇し、期待したほどの積雪もなく路面も普通タイヤで走れた。三瀬を越え脊振村方面へ移動。路肩には幾分の雪が残っていたが景色と言えるほどでなく、期待外れかとあきらめながら先へ急ぐと、赤い花と木の枝に残った雪が目に止まった。
椿であった。枝には溶けかかった雪。葉の表面は溶けた雪で洗われ濃い緑色、溶けた雪は枝に染みていた。難しい構図だったが余り立ち会えないチャンスに急いで三脚を立て、PLフィルターのリングを回しながら葉の色を調整、慎重にレリーズを押した。

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タワーとその周辺XVI(街灯)

風のない夏の暑い午後、これといった宛もなくカメラを下げてぶらいついていた。何の目的もない時もカメラだけは準備していた。
さすがの暑さに公園で遊ぶ子供たちもいない。みんな日陰に逃れて涼を取っていたのだろう。見上げると幾分陽が傾き、シルエットになった街灯が目に止まった。タワー周辺で見かけるあか抜けたデザイン、ちょっとヨーロッパ風ではないか。
見た目通りのシルエットを意図してシャッターを切った。

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2011年8月20日 (土)

タワーとその周辺XV(図書館にて)

時折利用したことのある福岡市立図書館、閉館後や休館日の「図書返却口」であるが、夜間の照明を知る人は意外と少ないのではないか。
夕暮れから夜のタワー撮影に出かけたある日、タワー周辺のポイントを探していたところ、まるで鬼太郎のめだまのような灯りを見つけた。近くに寄ってみたところ、それは図書返却口の照明であった。建物もデザインの良さで好評だが、このようなところにもセンスの良さが目につく。まさにおもしろ風景である。

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2011年8月16日 (火)

背振とその周辺XVI(67で撮る霧景色)

佐賀県脊振村側から背振山頂を目指す。6合目付近、朝から愚図ついた天候がここに来て急速に荒天。降雨寸前、森の中から一斉に涌き出した霧は一瞬にして、杉木立を墨絵の世界に変えた。

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2011年8月15日 (月)

背振とその周辺XV(67で撮る、晴天と霧景色)

初冬の朝、背振山頂付近まで車を走らせた。
透明感ある空気の向こうに、澄み渡る青空が。
天候が良いときの山には爽やかさが満ちていた。

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ところが天候が一変すると自然の中の色が失われる。
見る間に霧に覆われ、黒と白のモノトーンの世界に変化してしまう。

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これも自然の魅力なのだ。

2011年8月12日 (金)

タワーとその周辺XIV(夕景・冬II)

冬の落陽は早い。まさにつるべ落としだ。
相変わらず風強く、雲はどんどんと流されていく。
福岡タワーとホテル・シーホークを80-200mmズームで捉える。望遠レンズ特有の圧縮効果で前後の距離感を感じないが、実際にはそれなりに距離がある。
船の舳先に似たシーホーク、北に向いた船首部分各階の窓が夕焼けに透けて見えた。同じようにタワー展望台の窓も。
冬特有の透明感ある空気は、こんなに粋な演出を見せてくれた。強風に凍える手の指先、立っているのも辛い高層ビルからの撮影も、こんな一コマが撮れると「甲斐」があるというものだ。

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2011年8月11日 (木)

厳冬の背振(氷結)

山頂での撮影を終え下山途中、脇道に入り沢を目指す。期待通り、渓流のあちこちに結氷したつららを見ることが出来た。岩場に貼り付いたシダが氷に閉ざされていた。

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透明感ある自然の造形に出逢えたことをこの日も感謝しながら、シャッターを切った。

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厳冬の背振山頂付近II(九州自然歩道)

雪晴れの背振山頂付近、円筒形の建物は自衛隊のレーダーサイト。上空にはちぎれ飛ぶ雲、全山樹氷で装った景色はこの季節ならではのもの。ただ、これほど美事な樹氷にその後一度も出逢うことがなかった。体力・気力が横溢した40歳代ならではの山頂アタックだった。

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2011年8月10日 (水)

タワーとその周辺XIII(夜明け前)

上空には夜の名残り、地平線には新しい朝の色が。まだ全てが明けきらぬ夜明け前の静寂。風のない室見川河口に対岸の灯りが映える。
今日の晴天を占うかのように、静まり返った中でスローな空気感が伝わって来た。

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2011年8月 9日 (火)

福岡タワー・花火大会

タワー周辺に目立つ建物がない頃、姪浜・愛宕浜から撮ったワンショット。
花火大会の目玉、超大玉が打上った。ヒュールルル、と独特の響きの後、炸裂。その後にドーンという炸裂音が伝わる。タワー遥か上空ではじけた大玉は大輪の花を開いた後、まるでシャワーのように流れて来た。高さはタワーの3倍以上か、300〜400mはあるだろう。凄まじいほどのエネルギーが伝わって来た。

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2011年8月 6日 (土)

タワーとその周辺XII(夕景・冬)

冬の落陽、わずかな時間で終わってしまう。風強く雲は陸から海へ向かって飛んでいた。シーホークの窓も次第に灯り始め、都市高速では家路を急ぐ車のテールやヘッドライトが見える。夕映えが百道浜の海を茜色に染上げた。

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2011年8月 4日 (木)

タワーとその周辺XI(孤高)

福岡タワーを撮り始めた初期作品。以降、早朝撮影の定位置となった。室見川を挟んだ豊浜側河口部。ご覧のようにタワー以外に何にもない時代は、孤高とでも言える風情を感じる。この日、とても印象的な朝焼けを展開してくれた。早起きしたものへの比類無き贈り物と感謝している。

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2011年8月 2日 (火)

タワーとその周辺X(百道浜花火大会)

夏の夜の定番、花火大会。タワー遥か上空に大輪の花火、「ドーンッ」という音が時間差で轟く。百道浜から次々と打ち上げられる。砂浜では何人かの人々が至近距離で見物している。ヤフードームもシーホークもない時代の、「真夏の夜の夢」であった。

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2011年8月 1日 (月)

梅小路蒸気機関車館

開館後始めて訪れた京都・梅小路蒸気機関車館、かれこれ20年も前の写真か。当時仕事で月一のペースで大阪本社へ出張していた。おそらく出張後に京都まで足を伸ばしたのだろう。国鉄全路線無煙化にともない全国で片端から姿を消しつつあった蒸気機関車。心ある一部の国鉄幹部と全国の蒸気機関車ファンの圧倒的な声に応えて、当時残存する機関車の各車種ごとを京都・梅小路機関区に集結し、日本国鉄史上始まって以来の蒸気機関車だけの展示施設が開館した。車両によって動態・静態の保存に違いはあるが、よくぞ生き残ってくれたと当時はファンの一人として感無量の出来事であった。
そのなかのワンカットがこれだ。

_0006C56 160号機は恐らく小海線で使われていた機関車ではないかと推測できるが、D51200号機は何処の路線で終焉を迎えようとしていたのか。

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ヘッドライト横にシールドビームを装着したD51トップナンバーは積雪地帯仕様か。

数多くの現役蒸気機関車たちが、最期は朽ち果てた姿を晒し無惨に切り取り剥がされ、解体に追い込まれスクラップ化されたことを思えば、いかなる経緯であろうとも永久保存の目的でここ梅小路に終の住処を得た彼らは誠に幸せ者であると、私は断言したい。

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